誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

心の奥底にある惨めさのようなもの・・いや、はっきりさせようこれは「惨めさ」だ・・驚いたことに僕はこの惨めさを手放したくないと思っているのだということに突然気が付いてしまった・・なんで?・・なんでなんでなんで僕は惨めさなんていう扱いにくい厄介な感情を持っていたいと思っているのだろう・・惨めさをバネにしてというような言い方もあってそれが理由なのかと考察してみるのだけれどイマイチすっきりしないよな・・惨めさとコンプレックスは同じようなものだけれどやはりニュアンスが違っていて惨めさの方がより惨めさが強く色濃くて今取り上げようとしている感情はやはりコンプレックスではなくて惨めさなのだけれど僕は惨めさをバネにして立身出世を目指すというような熱血漢タイプでないことは自分でよく分かっている・・となれば惨めさを手放したくない理由は何か?ここまで考えて・・ひょっとするとひょっとして、まさかとは思うが僕は惨めさを持つ必要がある、持た「ねばならない」と無意味に無条件に当然のこととして思い込んでいるのではないのかと気づいて再び愕然としてしまった・・つまり隣の家の芝生がちょっと青かったら自分は惨めさを感じなければならないという自動プログラムが作動してしまっていて僕はそのプログラムに無意識であるがゆえに何故なのか理由もなく惨めさを手放したくないと思っていたのだということだ・・馬鹿丸出しだ・・何を見ても聞いてもこのプログラムは心の中で常に作動しているとなれば恐ろしいことでもあるのでこの機会に解除ボタンを押しておくことにしようそこは難しく考えなくても良いと賢い人が教えてくれている・・「気づく」ことがそのまま条件付けられたプログラムの解除ボタンなのであるから「ここ」に気づくたびに解除を実行していることになる・・さて、惨めさとは劣等感でもあるがこれは優越感と対を成して存在している・・ということは無用の劣等感プログラムがあるからには無用の優越感プログラムだってもちろんあるということだ・・こちらの解除ボタンも押しておこうね自分。