誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

ああ金澤が濃いすぎて頭がくらくらしているがどうやらぼくは「茶の湯」の世界にいざなわれているようだ・・待庵、如庵、密庵・・この奥深く美しく粋な日本の美意識の宝を金澤から世界へと届けて行くという壮大な計画の「現場」に触れてしまったのだからこれ以上の「志事」はないよなこのざわざわする馬鹿者の心を透明にして清らかにして焦ること無く自戒して晴れ晴れと「そこ」に存在したいそれだけでいい幸せ者だ・・哲玄老師の禅のお示しから志事としての茶の湯へのながれこれはどのように考えても偶然ではない御陰様のおかげさまだ・・このようなながれに身を置くと自分の中の「曇り」がとてもよく見える以前であればここで自我が肥大してそのまま流れに乗るのには何かが重くなってしまって気がつけば夢が冷めていたというパターンではあるが今はもうはっきりとしている無条件の「空」こそがぼくたちの帰り着く場所だ・・茶室空間とはまさにこの「いのち」が禅であって空であることを思い出させる最もミニマルな装置に違いない先人達の気付きが総合芸術として目に見えて触れることの出来る体験として「そこ」にちゃんとある・・日本とは本当に素晴らしく有り難く奇跡のような国であることを実感させられる何故こんなにもシンプルで当たり前なことが若い頃には分からないのかと言えば「それ」を誰も教えてくれないような社会教育システムが戦後のナニモノかの策略によって意図的につくられてきたからであるがその理不尽と矛盾に多くの日本人は「今」痛いほど気付き始めていて多くの「志ある」人々が具体的に意欲的に再発見の活動を繰り広げ始めていることが人から人への「縁ある熱の伝達」によって広がっている深まっている今という時代のウネリがこれこそ日本人のDNAに刻まれたタマシイからの活動になり今後ますますの一大潮流となって行くことはほんとうにホレボレとするような生きる実感だなんかまとまらないのだけれど底力がぼくをうごかしているのだよ自分。