誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

ゴミ出しのついでに晴れ渡った夜空を見上げて北極星の方向に目を凝らしながらこの宇宙の「中心の中心」のことをイメージしていたらそこには静止する「一点」があった・・あらゆる天体が円を描いて動いているこの宇宙の中心の中心の静止する一点はおそらく「大きさ」のないものだ・・あるいは逆に無限の大きさでこの宇宙とぴったり重なって静止している空っぽだ・・ああ、なるほどこれこそが「空」であり、「色」とはそこに生じて消えるマボロシなのだと腑に落ちた・・ゴミ袋を手に持って惚けたように夜空を見上げているぼくは地球の上に乗っかってものすごいスピードで宇宙空間を移動しているのだけれどその「ぼく」というものはそれほど遠くない未来にはもう影も形もない・・ただそおいうことなんだよ、つくづくここは不思議なところだ・・でもね、このせつなさがわりと好きなんだよ自分。

特定の経験や心の状態を追いかけるとき(あるいは逃れようとするとき)、それはいつもうまくいかず、私たちは失望します。けれども、絶えず変化を続けながらもつねにここにある明白さにただくつろぎ、永続しないという性質がすべてに貫徹していることがわかり、気づきがそれ自体の無境界性に目覚めると、私たちはまさに今いるこの場所で自由と幸福を見いだします。・・美しい・・なんて美しい文章だろう・・目の前のこれもまた過ぎて行く・・ということなんだよな〜自分。

*ジョーン・トリフソン「つかめないもの」から抜粋

もしも誰かがぼくにこんな質問・・最近何かいいもの見つけた?・・と聞いてくれたとしたらぼくはその誰かにちょっとした好意をもってこのように答える・・「とくに」ってことはないのだけれどね、と・・一応前置きをして、それからこんなふうに話しはじめる・・アイピローってわかるよね?・・アイマスクという言い方がふつうかも知れないのだけれどぼくにとってのその使い道はまさに眼球を、視覚を、そしてそれにともなう忙しい思考を休ませてあげるということが目的なので「アイピロー」という呼び名がぴったりなんだけれど、これは家の中に居ても日差しが眩しく感じられた今年のもの凄い日照りの頃からずっとあればいいなと思いつつ何度かデパートの旅行用品のコーナーや雑貨店なんかを探してみたのだけれどなかなかぼくのイメージにぴったりの素敵なアイピローというのは世の中に無くてさ・・それでそのままハンドタオルなんかをおでこと鼻の間に載せて代用していたのだけれど・・ひょんなことでコレかなというのに三日ほど前にね、出会ったんだよ・・そのポイントは実にあほらしいことなんだけれど、そのアイピローは黒猫の顔のカタチをしていてね、その黒猫がすやすやと幸せそうにまどろんでいるんだよ・・わかるかな?・・実際に着けているところを自分で見て確かめることはできないのだけれど・・もしも誰かがこのアイピローを着けて気持ち良さそうにまどろんでいたとしたら・・ぼくはその人を「そっと」しておいてあげようと思うだろうし・・すごーく微妙なことなんだけれど「その人から無意味に疎外されている感じ」を持たなくていいように思うんだよ・・ようするに着けている様子がチャーミングで回りの日常的な空気感との親和性を損なっていないということなんだけれど・・世の中で売っているほとんどのアイピローはね・・着けている本人の着けごこちに関しては素材やデザインでずいぶん工夫されているのだけれど・・残念なことにそばにいる誰かに対しては微妙な疎外感を与えてしまうんだよ・・それが好都合な場合もあるのだろうし、考え過ぎだと言えばそのとおりなのだけれどこれはリラックスを目的とした本人が昼の日中にアイピローを使用するというシチュエーションにおいては案外重要なことなんだけれど・・まあいいや、ごめんね長い話になって・・最初の質問に答えると・・ぼくはお気に入りのチャーミングな黒猫のアイピローを思いがけないタイミングで手に入れることができてささやかな幸せを感じているよ・・アイピローがもたらす漆黒の闇に視覚をくつろがせて・・ただじっとしているとぼくの好きな切なさがやってくるんだ・・いろんな意味で秋なんだよなあ〜自分。