誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

日向ぼっこは日向ぼっちでもある・・いや違うな・・日向ぼっこは静かな人とならばひとりじゃなくても成立はする成立はするがやはり本質的には日向ぼっこは日向ぼっちだよな日向ぼっこは日向ぼっちであるべきだとあえて主張してもいい・・最近はなぜなのか一人の至福というようなことをよく考える孤独力とかそんな本もあるようでお一人様の時代とか流行っているのかどうか知らないけれど一人を楽しむことができれば世界が自分の見ている世界が彩り豊かになるということを意識的な活動につなげて楽しむことがずいぶんオーソドックスで特別なことではないようにもなっているみたいだちょっと面白いと思ったのがクリボッチという言葉・・なんか可愛い言葉の響きなので意味を調べたらこれはクリスマスにひとりぼっちですごすことをどちらかといえばネガティブに言い表しているようでぼっち飯とかちょっとやな淋しい定義=決めつけにも通じているようでなんというのかそりゃクリスマスをひとりで過ごすのは淋しいことではあるけれどクリボッチはそんなに悪いものでもないと思う。さてぼくはどうなんだろうねくりぼっちを楽しめるのかと自問するのだけれど自然のなりゆきとして今年はふつうに奥さんと過ごしていることでしょう逆にくりぼっちに憧れて一人で外出したいのだと宣言したりしたらそれこそ話がややこしいので素直にそれはそれとして・・ひとつ面白い記事に行き着いたくりぼっちを楽しむコツについて書かれたものだけれどそのコツとは世界の恋人達に祝福を贈ることがくりぼっちを楽しむ人の心の持ち方の大前提であるようだなるほどクリスマスの街を歩きながら行き交う恋人達すべてに祝福を贈るとはなかなか素敵な体験に違いないな、いかにもカップルが好みそうなレストランや飲み屋でひとり静かにディナーを楽しみつつ恋人達を祝福できれば人として一人前だね・・そしていつかは誰でもくりぼっちという状況に置かれることになるのはほぼ間違いないせつないものだな人生は。