誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

つまり思考は一喜一憂する苦しみなのだということなのだ本当の本当に際限なく一喜一憂している思考に対して「うんざりする」ことが大切なのだと多くの賢人は教えてくれている・・一喜一憂は条件づけられた思考による脊髄反応であってそれを当たり前で当然で避けがたく選択肢のない無限回廊のように思っているのもまた思考であってここに絡めとられてしまうと思考と思考がこんがらがって幻想の中の幻想が深まり固い結び目のようになってしまう・・で、その結び目をほぐそうとして深層心理を癒したり過去生を供養したり何か良い方法に依存してしまったりするのだけれど・・これもまた全部まとめて思考なので一喜一憂する苦しみであることに変わりはなくてついにはうんざりとしてしまう・・ここがチャンスだ・・その「うんざり感」をただただ静かに見つめなさいと・・でも、しかし、そんなこと言っても・・と思考はまたもや騒ぎ始めるのだけれど・・その思考にも逆らわず挑発にも乗らずユーモアを持って静観を貫いているとしだいに揺るぎなく無条件にいつもいまここにある「空っぽ」の存在に目覚めるようになる・・「空っぽ」の存在とは面白い言葉だ・・言ってることが矛盾しているじゃないかと思考によるツッコミどころは満載であるがこの矛盾を言葉で解決することはできない・・できないことをできるように思っているのが幻想の幻想たるゆえんである・・幻想に感謝を捧げてみるというのはちょっと面白いアプローチではある・・そもそもこの一喜一憂する幻想を味わいたくて楽しみたくてぼくたちはここにいる「そのこと」自体に感謝してみる・・静観は愛と感謝のもっとも洗練されたかたちであるのかも知れない・・過去の後悔を引きずった未来の心配が胃腸をキリキリさせていてぼくはそれを見ている空っぽ・・ちょっとした仕事が予想以上にうまく運んでなんだ楽勝じゃないかと有頂天になるワタクシ・・ぼくはそれを見ている空っぽ・・これもまた過ぎて行く・・無感動な人間になりたいわけじゃなくて・・愛は愛でないものも含んでいるのだよ自分。