誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

ふと気が向いて散歩に出たいと思ったが近所の散歩はもう本当に飽きてしまって苦行のようになるのでちょっと大掛かりな散歩ということにして電車に乗りJR山科駅に向かったのはもう四日も前のことになる・・まずは毘沙門堂にお参りして疎水沿いにてくてく歩いて哲学の道から銀閣寺方面に抜けるというこのなんとも魅力的なコースはなんと村上春樹さんも推薦しているほどの「素敵なコース」だということでぼくはちょっと嬉しかった・・昨日くらいまでのどんよりとしたお天気も嘘のように晴れ渡っておりまして暑くもなく寒くもなく風も穏やか・・JR山科駅から毘沙門堂に向かうなだらかな坂道の右手に見える小高いお山は巨大なスクリーンに描いた水彩画のようにふわふわと輝いてぼくを迎えてくれた・・毘沙門堂のお参りを終えて、来た道をちょっと戻ったらいよいよ疎水沿いのウォーキングコースだ・・素晴らしいこの素晴らしい水辺の道を何も考えずにどんどん進めばやがてそのまま哲学の道銀閣寺へと誘われるのだからそのあとは適当な店を見つけて昼酒の梯子でもしながらお買い物もして機嫌良く京都駅から帰ってくればいいやというだけの素敵な半日計画にぼくの心は弾んでいた・・疎水沿いを歩き始めて30分ほど・・だんだんといい感じの瞑想状態に入って行く・・何も考えずに自然の中を歩けるというのは本当に素晴らしいことだ・・このコースをぼくの散歩の定番にしていろいろな季節にいろいろな思いを抱いていろいろな人とあるいは一人で歩けるならばそこには季節ごとの思い出が重なってゆくことになりぼくの人生をささやかに彩ってくれるのではないか・・ありがたいことだ奇跡のような散歩道だ・・そして目的地は京都なのだから散歩後の楽しみのバリエーションも季節ごとに無限に広がる・・ありがたいことだ奇跡のような散歩道だ・・と・・有頂天になって歩いているぼくの目の前の幸せな道が・・突如現れた「トンネル」によって遮られたのはその時だった・・ん?ここでいったん疎水を離れて・・ああ、なるほど・・この峠をちょっと迂回したらまた疎水沿いの道に戻れるのだなとぼくは思ったのだけれど・・迂回路はどんどん疎水から遠ざかりやがて味気のない住宅地の道になりそしてさらに国道に出てしまった・・おいおい話が違うじゃないか・・最初はぼくが肝心なポイントで道を間違えたのだと思ったのでもう一度トンネルのあたりまで引き返して道を確認したのだけれど結果は同じだった・・地図をよく見て確認して分かったのだけれど・・山科〜銀閣寺ルートはいったん蹴上あたりまでの「つまらない道」を通過してから再びのどかな散歩道に続いているようだった・・ここで素直にこの「つまらない道」を蹴上まで歩けばそれでお散歩は再開するのだけれど・・ぼくの夢はもうすっかり醒めてしまっていた・・なんという阿呆な展開だ・・ぼくのロマンはどこに消えてしまったのだろう・・山科から京都へ「自然の中を何も考えずに快適に歩ける」というぼくのロマンはもともとが勘違いの思い込みから始まっている幻想だったということになる・・国道に放置されたぼくは「村上春樹」の小説の読後感と同じニュアンスの虚無感を味わっていた・・人生は現実なのだという冷徹な虚無感だ・・夢のような山科〜銀閣寺ルートにこんな「落とし穴」がある背景には社会のエゴが渦巻いているように感じる・・まさに「やれやれ」だよ、村上さんの言う通りだよとぼくは観念して地下鉄の駅までとぼとぼ歩いたのがもう四日も前のことだなんて夢のようだね自分。