誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

思考の端っこにずんと重たく蠢いていた「草取りしなくちゃ」を朝の二時間限定と心に決めてあとはただやるだけという崖っぷちに「怠け者」を追い込んでやりましたよ〜クサトリシナクチャ海峡・・ああクサトリシナクチャ海峡の激流に巻き込まれ炎天下で気絶寸前になりつつも無事に海峡越えを果たした勇者は歓喜のシャワーを浴びまして冷蔵庫のグリーンDAKARAを体内に流し込みバレバレと清々しくブログに向かっているのでした・・たった二時間を頑張ったらあれほど憂鬱だったクサトリシナクチャ状態はとりあえず玄関回りだけなのだけれどずいぶんとスッキリした・・このペースを賢い人は習慣にしてこれを週に一回でもいいので続けたら・・たいした労働でもなくて逆に「草を抜く引きちぎる」などという行為は極めて精神衛生に良いストレス発散の結果をもたらすようにも感じるのだからつべこべ言わずにやれば良いことなのだけれど「やる」と決めるまでが怠け者の大仕事なのは自分でも飽きれてしまうほどだ・・今朝のこの行動には不思議なイントロがあってそれは昨夜のことなのだけれどぼくは寝ていて夜中の三時頃に突如としてものすごく凄まじい今までにないほどの「怒り」に遭遇してしまった・・これは怒りのエネルギーだ・・これは怒りのエネルギーだ・・と一方にものすごく覚めた意識があって・・それでもその怒りのエネルギーが強く凄まじいものだったのでぼくは愛用の抱き枕をシメコロスことにした・・渾身の力を込めて抱き枕の首を絞めて息の根が止まるのを確認したぼくは・・ようやくその怒りのエネルギーから解放された・・同時に「怒りを許す」という広々とした場所が自分の中にあることを感じて救われた・・ぼくは怒りの抑圧ということを無意識にしてきたのだとはっきり悟った・・これは言うまでもなく根の深い深層心理の潜在意識のトラウマの網の目が複雑に絡まり合った場所に存在するエネルギーの解放なのでたぶん昨夜の「これ」をきっかけにしてもっと大掛かりで恐ろしく手に負えないエネルギーが出てくるのだと思うのだけれど抱き枕をシメコロスというのはなかなか良いアイデアかも知れない・・逆に言うなら「たったそれだけのこと」なのである・・あるいは哀しみのエネルギーであれば・・あるいは恐れのエネルギーであれば・・と抑圧されたエネルギーには様々な色合いがあるのだけれど根本となるエネルギーがたった一つの同じものだということは体感として理解できている・・喜怒哀楽・・ぜんぶ同じエネルギーであるがモンダイは「抑圧」にあるのだということははっきりしている・・親や社会によって怒りや哀しみの感情は巧妙に禁止され抑圧されているというのが事実関係の全ての全てだ・・さて、それがどのようにクサトリシナクチャ行動に結びついたのかは謎であるが・・昨夜大きな怒りを解放した後で最初に浮かんで来た思考が「クサトリシナクチャ行動」だったのだ・・ぼくの意識は「もの見」だった・・その澄み切った安堵の空間には怠け者のタワゴトなどは存在せずただやるのだよ・・タダヤルノダヨという声が確かに響いていて・・そのような局面になると案外素直で従順な性分には少なからず救われているのかも知れないね自分。