誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

今朝は腰のあたりにそこはかとない哀しみの体感がありまして・・その体感に思考を交えずにただただ気付いておりました・・けれども思考はやって来る・・哀しみの原因をああでもないこうでもないと探し始めてもっともらしい物語をふくらませている・・でもそれはそれ・・これはこれ・・関係のないものをいっしょくたに考えて「分かろう分かろう」とするのが思考というものの性質だ・・一瞬一瞬・・気付いているというのは楽器を演奏しているような感覚だね・・油断していても緊張していても生命感のある音楽は生まれないからね・・腰のあたりの哀しみの体感はやがて胸のあたりまで上がってきてどよーんと漂っている・・優しい言葉をかけてあげよう・・哀しみは哀しみで一生懸命に哀しんでいるのだからキツい言葉で蹴散らそうとしては駄目だよ・・優しい言葉をかけてあげよう・・理由を聴いたりしなくていいよただ優しい気持ちをおくってあげよう・・その哀しみはそこにいていいし・・もっと言うならば「哀しみ」という名前もいらない・・ただここにそのような体感がありましてぼくはそれを感じている・・感じている・・哀しみとせつなさは良く似ているね・・せつなさは嫌いじゃない感覚だね・・むしろ好きかも知れないな・・わざわざ「せつなさ」を求めて旅に出たりするじゃないか・・いやいや人生において今まで一人旅というのはしたことがないのだけれど・・いやいや違う何言ってんだ・・人生そのものがいつもいつでも一人旅じゃないか・・ああ、せつないね・・せつなくて気持ちが良いね・・音楽の響きを素敵にするのも夕暮れ時のビールがおいしいのも、そして「今」という時間が味わい深いのも・・その成分にせつなさがブレンドされているからなんだね・・本当の本当は名前なんてないのだけれど・・また新しい哀しみに出会ったらとりあえずせつなくて愛おしいいつもの君だねと声をかけてあげよう・・せつなくて愛おしいいつもの君をすっぽりと包んでいる境界線のない広がりをうまく感じられるといいね自分。