誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

というわけで大吉で焼き鳥ここの大吉の大将は大吉グループ内でも一目置かれているやり手の大将らしく焼きの技が素晴らしいのだというなるほど旨くて田舎の一軒家なのに今夜も満席うちの駅前にも店出してくださいよ〜と言ってみたら瞳がきらりと光ったおお来てくれるのか・・うちの駅前には飲食店というものが無いに等しいあるにはあるがファミリーレストランと銘打った奇妙なうどん屋でちぐはぐなメニューには寿司御膳なるものもあり試しに頼んでみたことがあるが熱帯魚の切り身をおにぎりの上に載せたようなものと同じお盆の上には小さな和傘と水車小屋があった・・シュールだ悪い冗談だこれはなにかの悪夢に違いない二度と行かない・・さて快楽主義のパラドクスであるが快楽欲求の肯定か否定かというようなアプローチでいくら考えてもそれらしい納得感に至ることは無いようだそこで登場するのが抑圧か昇華か・・抑圧はいずれ破綻することになるが昇華は美しく調和していて無理が無いあくまでもイメージではあってもこの昇華という言葉には救いがあるつまり果てしない快楽欲求は美しく昇華されることが望ましいのではないかという方向にぼくの思考は導かれたのだが「昇華」についてはこれ以上考えても話がややこしくなるだけだ言葉は言葉として味わうのがいちばんなのだねということでぼくの切実なる焼き鳥欲はめでたく昇華されたのでした・・ニワトリさんにも感謝しておかないとね美味しく頂きましたごちそうさまでした。