誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

自分の部屋が散らかりすぎていて物の下に物が重なり何を残して何を捨てていいのか混乱して途方に暮れてしまった状態であったとしてもその自分の部屋がたとえばテニスコートくらいの広さであれば目の前のコンランは一気にほどけてゆくのにな・・というのは馬鹿者の発想であってそんなことを考えていても現実の部屋は一向に片付かないのだけれども・・しかしコレを頭の中の思考の状態に置き換えてみることは「広くて明るい場所」に向かうための手助けになるのかも知れない・・そもそも思考に良い思考と良くない思考があると考える=その思考がそもそも最初の混乱の始まりであって思考というものは100%全部が純度100%の馬鹿者のたわごとで構成される「雲」のようなものであり意識がその中に迷い込んだときには気付かないがちょっと距離を置いて眺めてみるとふわふわとした実体のない幻想のかたまりであってその「背景」である意識空間は無限の無限の大きさであるがゆえにどれほどにどす黒く邪悪で呪いに満ちているかに見える思考の雲であったとしてもそのまま放置しておいていっこうに差し支えないということだ・・思考の雲の背景にはいつも広大な広大な青空が広がっていてその青空が本当の「私」であり「あなた」であり「いのち」なのだよと古今東西の賢い人たちがこころを込めて教えてくれているのだからそのまま・・あ!そうかとただ気付いていればいいのだよ自分・・というようなことを書いた後で糸井さんの今朝の言葉・・「ときどきは、じぶんや、じぶんたちを笑ってやるという「体操」みたいなことが必要なのかもしれないなぁと思う。」