誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

「懐かしく微かで優しく甘いエネルギー」ハートの奥の生命感をいろいろな人がいろいろな表現で伝えているのが面白くてぼくは言葉の森にでかける・・最近お気に入りの「現象と背景」の関係性で言うならば背景にあたるのがこの懐かしく微かで優しく甘いエネルギーだ「甘いエネルギー」という言葉遣いに秘められた言うに言われぬ実感がぼくの「記憶」に共鳴した・・今日は雨だね雨の音が聞こえるよ仕事場の椅子の感触を感じ毛布に包まってこつこつとキーボードを叩いていると予想すらもできない次なる思考が現れて去って行く・・思考が現れ=去って行く「その場」を満たしているのが生命感でありそれをある人は「懐かしく微かで優しく甘いエネルギー」と表現して・・その言葉の味わいに包まれているのだけれど言葉の断片は切り花のようなものでついさっきまで美しく咲いていたかと思えばいつのまにか萎れている・・ずっと枯れることの無い持ち運びに便利な言葉そんなものは世界のどこにも無いのだなと腑に落ちたのはなんと最近のことだ・・今ごろ?・・と自分でも驚くのだけれど腑に落ちるというのは並大抵のことではなく馬鹿者には馬鹿者の歩みというものがあるのだろうね・・なんだか今日はセンチメンタルだセンチメンタル50%ジャーニーだよ・・また糸井さんだ「センチメンタル50%ジャーニー」・・素敵なこと言うよなぁ人生の味わいそのものが凝縮されている「ように感じる」じゃないかまさしくこれも言葉の断片ではあってもこのように輝き続ける言葉もあるとなれば・・何かを強く言い切ってしまうことはできないねでもねそれでもでもね気をつけようね言葉の断片を持ち運んで大切な何かを分かっていることにしてはいけないのだよ自分。