誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

作家の多和田葉子さんが言葉の力というものに目覚めたのは幼稚園に通う前のことであったらしい・・自分は身体も小さく力もなくて何も出来ない子どもだけれど「言葉」を使えばまわりの大人たちが笑ったり困ったり慌てたりすることが魔法のように思えてとても不思議だったのだそうだ・・魔法のように思えたというそのニュアンスが多和田葉子さんらしくて面白いのと同時に・・彼女の小説作品からそこはかとなく醸し出される「毒」はすでにこの頃から精製されて研ぎ澄まされて来たのだということに恐ろしさすら覚える・・大人になり小説家となった多和田葉子さんが言葉の力を行使する領域は今やはるかに高度化されてぼくたちの無意識にまで達している小説に限ったことではなくて絵画でも音楽でも優れた芸術作品は無意識に触れてきて理由をうまく説明できない感動を創る・・何度読んでも何度見ても何度聴いても飽きないばかりかその度に新しい感動があるとなればそれこそが「生命の躍動」であるのだけれど今更ながらに天才の仕事とは驚くべきものだ素晴らしいものだ・・しかしながら天才達の数限られた芸術作品だけが生命を宿しているというふうに考えてもそれほど心楽しい結論には導かれないし・・かと言って小さな女の子がママのお誕生日のために描いた似顔絵にも「生命は宿っている」というようなことも否定はできないけれどありきたりでツマラナイ・・と・・このように話の流れは混沌として収束しつつあるのだからそれはまあそれとして・・というか・・また今日も今日もまた逆の逆にツマラ〜ナイ歯医者の時間だけどやだなやだなもういいよ飽きちゃったさ〜気が重い出口の無い火曜日の午後に冷たく深刻な雨が降ってもこれもまた過ぎて行くのだよ自分。