誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

さて雪なんてめったに積もらない大阪暮らしでは履いたこともなかった長靴というもののありがた味を感じて雪道をごそごそ歩き樹下様参りは続いているが長靴さんがあればこそ一歩お外に出かけてしまえばそれなりの楽しい気分になることができるこれは教訓でも何でも無くて「足元」は大切ということだ・・そろりそろりと雪道を進めば自分が風景の中を歩いているのではなくて風景の方が自分を通り過ぎて行くという面白い錯覚に出会うことが有るがそのイメージ全体を上空から眺める意識もまた自分であって分離していた世界と自分の境界線が曖昧になり・・というようなことは「期待」はすれども全然なくて・・滑って転んで腰でも打ったらえらいこっちゃと身構えて強張っている無力であまりにも小さな「個のわたし」を思い知るのであるが・・ちょっと待てよと心のざわめきが立ち止まるのは「その」時だ・・暖かいお布団さんを出てお参りに向かうのは辛いのだけれど「その」時には心底落ち着いて静かに実感するいまここがあり心の中の矛盾が消えている・・近所に往年のミヤコ蝶々さんが演じたような意地悪婆さんそのままのキャラのお婆さんがいてぼくはなぜかそのお婆さんに「びっくりするほどの確率でよく道で会うのが」うっとうしく思っていたのだけれども近年に大きな病気をしたようで見かけなくなったな〜と思っていたら今朝ひさびさに顔を合わせたら仏様のような後光が射していて仰天した・・厄落としとはまさに役落としなんだよな〜とつくづく思ってしまったさ自分。