誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

いい感じに適当でいい感じに常識的なのが自分にとってのいい感じなのだけどこのいい感じは究極を突き詰めて行くほどに決して他人とは共有できない自分基準のいい感じではあるが世の中にはいい感じの許容範囲の広い人ももちろんいるのだろうし同じように許容範囲の広い人同志であるならばお互いのいい感じを共有することは可能であるのかも知れない・・ここで一例であるがわが家の昨夜の晩餐は湯豆腐だったのだけれどあらかじめ昼間に「ポン酢はないけどね〜」と宣言されていた・・湯豆腐にポン酢がなければそれはいったい何なのだろうと一瞬思ったがまあいいやポン酢のない湯豆腐で上等じゃないかという程度がぼくの許容範囲だ(小ちゃいな〜)・・一昔前であればぼくは「じゃあポン酢買って来るし…」と昼の時点でそのように当たり前のように善かれと思って発言していたことでしょうけれどもモノゴトの流れというものをそのような思いと提案と行動とでややこしくしなくても晩ご飯を作ってくれる人がポン酢はなくても湯豆腐を作るのだと宣言しているのであればそれはポン酢のない湯豆腐の完成を見守るのが吉ということだ・・さて結果的に生姜醤油と胡麻だれでいただく湯豆腐はとても美味しゅうございましたなるほど馬鹿者には許容範囲の「範囲」さえも無用であっていっそのこと100%全許容であれば晴れ晴れするだろうね自分。