誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

まあ「作業興奮」という脳のメカニズムについては前々から知っていたので「やり始めたらやる気も出るだろうね」ということは分かっていたので今回もまあそのような流れで新春のボールを打ち返すことができて良かったこの作業興奮は最初のスイッチを押す人とその後にだんだんとノッテ来て作業をしている人はまるで別人のようでありまたその顛末をずっと眺めている「上の人」もいてどれが本当の自分なのかということは特定できないしあえて言うならばまわりの環境を含む全てが「自分のようなもの」と言うわけだ・・「世界と自分はぴったりと重なった一つの生命だ」という非二元の観点と「それはお前に丁度良い」という良寛さんの覚りの境地を重ね合わせた大いなるくつろぎとともにまあやるべき時にやるべきことを「やる自分」が存在することを信頼していたらいいだけなのだとアタマでは分かっていても昨日のようにこころの金縛りと闘っている状態というのは「それも含めて丁度良い」とはなかなか抱擁して認識できないのだけれどもその「抱擁できない自分」も含めて全体なのだから結局のところは起こるべきことが起こるべくして起こっているということだ・・ようするにぼくたちは「次にどんな思考が起こってくるのか」ということについてもまったくの無力であることを好むと好まざるとにかかわらず認めないわけにはいかないわけで・・あ、話は変わるが年末に久々に読み返してみた「ダンスダンスダンス」がまったくつまらなくて投げ出してしまったのが蔵書の処分を決意したきっかけになっているのだけれどそのような成り行きというものも不思議と言えば不思議なものだね自分。