誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

もしもゴールを設定するならば「無条件の至福」という内なる王国に行き着きたいものではあるが自我的自己であるところの馬鹿者はそのゴールを歓迎しないばかりかその深層には恐怖と寂寥がごちゃ混ぜになった沼のような感情を携えており実のところは自らの自虐的存在理由として「無条件の至福」を否定しているのであるから始末が悪いこの馬鹿者がこの浅はかな人生に常々求めているのは優越感という幻の幸せだ・・優越感とはそのまま劣等感のことであり自他評価によって生まれるが馬鹿者は信じられないほど馬鹿なので優越感だけを上手に掬い取って人知れず手に入れるための評価基準を自己矛盾の中で見つけようとして一喜一憂を繰り返しやがては無意識の波にさらわれて必死に溺れながら目の前のモノゴトを手当り次第に「評価する」うちにどんどん冷たく重たくなって無意識の海の底へ底へと深く深く沈んで行くのである・・この意味合いにおいて馬鹿者の思考とはその成分の100パーセント全てが目の前のモノゴトや自他の行為やあるいは世の中の出来事やさらには未来の希望や不安と過去の成功や失敗に対するめまぐるしい「無意識の評価」なのであってこの評価思考は無意識のスピードと広がりで自分と自分の世界の内と外とを蝕む・・ああ苦しい苦しくて逆に愉快じゃないか?え嘘だろ冗談はやめてくれよもういいよと言ってるのに・・無意識の暴君は無意識なので無意識に苦しみを作って苦しみながら「無条件の至福」を否定し続けている・・もはや何のために「そんなこと」をしているのかも分からないほどに無意識は無意識の中で成長してしまい無意識における新たな評価思考は新たな苦しみを生み出してただ苦しみを苦しんでいるのが無意識の暴君というものだ・・おいおい無意識の暴君なんて名付けてしまえばちょっとシリアスで格好良すぎるので馬鹿者は馬鹿者でいいじゃないかと・・分厚い雲の向こうで笑っているお日様の「無条件の至福」を感じることができるかな今日の自分。