誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

つまり抽象度を上げてスコトーマが外れると新たなゲシュタルトを認知できるのね(苫米地博士)・・なるほど風呂屋の番台に座ると男湯女湯が同時に見えて全体の混み具合や売上げや人間関係などを把握できるということですね(馬鹿者)・・深夜に苫米地英人さん出演の番組をYouTubeで見始めたらとめどなく流れ落ちる知の滝に打たれているようだった苫米地博士はなんと天台宗の正式な僧侶でもあってお釈迦様の遺言通りに仏教の真髄を「東へ東へ」伝えて行くという重責を担っておりハワイとニューヨークにある系列仏教寺院の責任者でもあるという冗談みたいな天才だおまけにギターを弾いても馬鹿みたいに上手くて存在全てが凡人の理解を超えている・・その苫米地博士が般若心経の決定的な間違いを指摘していてそれは「色即是空・空即是色」とは抽象度の階層が異なる「色」と「空」を相対的に論じていてここが決定的に矛盾しているのねと語っていた・・では正しくはということで苫米地式の般若心経「書き直し例」が紹介されたのだけれどこれは今までぼくとしてはとても曖昧だった「空」と「無」の違いの理解をクリアにする素晴らしい内容で・・「色即是無・無即是色・空包摂色・空包摂無」というものだった・・つまり「空」とは森羅万象見えるもの見えないものすべての上位にある概念であって抽象度の頂点に君臨するどのようにも名付けようのない「それ」であり、一方の「無」は「色(有)」と相対してとらえることのできる下位の概念であるため、それ故に「無」と「色」は「空」に包摂されているという関係性が見事に説かれていた・・というわけでこのところずーーっと気になっている「無条件」とはなるほど「空」を指し示しているのかも知れないねという満足な仮説が生まれて少しばかり晴れ晴れとした気分ではあるね自分。