誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

愛おしさの中に哀しみの味わいがほんの少し混ざっている・・ぜんざいを食べながら塩昆布をちょっとつまむようなこの感じは水平に流れる日常時間に「垂直の奥行き」があることを教えてくれて面白いつまり「面白い=味わい深い」を成立させるための奥行きは・・ってなことを書き始めながらFacebookをよそ見してたらタイムラインに「パンにかけるスイーツ醤油」なるものの商品紹介が流れてきてついにコンナモノが出て来たのかと思った。バタートーストに醤油が合うのは考えてみたら当たり前のことなのだけれどそれが「商品」として提案されて受け入れられつつあるというところに何と言うのか今どきの潮流を感じる・・ちなみにぼくは小学校の4年生の頃の給食でパンにイチゴジャムとマヨネーズを付けて食べるというのにハマってしまいその奥深い味わいはバリエーションを増やしながら現在の朝食のささやかな冒険として受け継がれているたとえばピーナッツバターとメイプルシロップとマヨネーズの組み合わせなどはなかなかアバンギャルドな華やかさありこれをトーストの上に置いて頬張るのであるが最近になって気付いたのはそこに「野菜が欠かせない」ということだたとえレタスの一片であってもあるとないでは大違い野菜の生命力こそがジャンクな一皿の哀愁を救済している・・明るく軽く親切なのに。ほんの少し悲しみの味がするのだ。と糸井さんはマジシャンのパルト小石さんのエッセイ本の帯に書いている探せばもっといっぱい見つかると思うのだけれど世界は絶妙なブレンドに満ちている・・というよりも全ての存在と全体は絶妙なブレンドでしかあり得ないこととして成立しているのかも知れないね自分。