誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

無限の中から有限を取り出して体験しているのがこの世の次元の真相なのだという・・かつての日本では「0=ゼロ」のことを「無入」と呼んだ(満ち満ちてこれ以上は何も入らないという意味合いらしい)・・このところよく思うのだけれど「日本語のその言葉」を作った人たちはどれほどまでに素晴らしい英知を備えていたのか・・現代物理学がようやくたどり着こうとしている高次元の未知の地平を当然のように理解していなければその言葉を作ることは到底出来ないのだからまさに神だ!しかも言葉というのは誰か一人の天才が作ったのでは意味がなくて「それ」を理解する周りの人たちがその言葉に同調賛同すればこそ成立するものなのでようするに「ゼロ=無入」を宇宙の真理として感得していた文明が過去の日本に存在していたということになる・・さて話は変わるが(変わるのかw)今更ながらに人生は一期一会なのであるがもしももしも自分の家の茶室に掛ける書を選ぶのに「日々是好日」とか「一期一会」ではあまりにも当たり前すぎてヒネリがなくてツマラナイという気分になってしまうのが人間というものであるし「ここ」のユーモアや外し方がセンスの見せ所という気分になるのも頷けるのであるけれども・・それにしても「一期一会」とは明快である・・ご縁に導かれるままに茶の湯の世界を学習している近頃の馬鹿者ではあるが表千家裏千家の系統に於いてはどうやら「裏千家」さんとのご縁が強いようである・・ものすごく些末なことではあるが一例として裏さんは「お抹茶の泡立てを激しく行う」という程度に気持ちカジュアルで庶民的なお作法の傾向を持っているようなのでまあ性分に合っているのかも知れないね自分。