誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

さて久々の素晴らしいお天気の日なのでお日様のことを書いてみよう・・太陽はもの凄く大きくて燃えていてまともに見ていたら目が潰れてしまうぐらいに眩しくて太陽系の子分達をじゃらじゃら引き連れてぐるぐる回りながら銀河系の軌道をぐいぐいと突き進んでいる・・どうだカッコいいだろう!・・で、どのくらい大きいのかと思ってちょっと調べたら「太陽の半径は約70万kmであり地球の約110倍に相当し…」と紹介されていて・・ん!?思ったよりも人間の感覚で捉えることの出来る範囲の大きさであることに「逆に」感動してしまった・・しかしながら「こんなにも、あんなにも途方も無い光のカタマリ」が宇宙空間に浮かんでいてぼくたちの地球を規則正しく絶妙に暖めて照らしてくれているからこそぼくたちは存在しているのだという「単純な現実」は考えれば考えるほどに不可思議である神秘である冗談そのものである・・お風呂に入って寝て起きて何かを食べて仕事して笑って泣いて怒って悲しんで優越感に浸り劣等感に苦しみぼくたちはいったい「ここ」で何をやっているのだろうねという気持ちになるのだけれど・・それもこれもお日様という圧倒的な存在が目に見えて「あそこ」にあるからこそ起こって来る感情なのである・・つまりは「お日様を含む現実感」に現実感を持ってみようとすればするほど「普段に感じている現実感」が遠ざかるというこの感じ・・誰かともっと親密にお日様の不思議さについて熱く語りたいのだけれど普通に出会う人たちはお日様のことになんてまるで関心がないような顔をしているのが逆に不思議なんだよというこの感じ・・さらに宇宙的な神様の視点から見てみるならばあのお日様であっても小さな小さな存在であるのだというあまりにも大きすぎる宇宙に目眩がしてしまうこの感じ・・この感じをどのように言い表せばいいのだろうかと考えていてゴーギャンの有名な絵画のタイトルが思い浮かんだ・・『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』・・そうなんだよこの感じなんだよゴーギャンさんありがとう、今日のぼくの気分にぴったりだね自分。