誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

もともと全体である意識が個別分離孤独というものを味わってみたくなったんだよ・・それが「私」それが人生・・ふとしたことで目についた「なんでもない情景」がなんでなのか知らないけれどいつまでも心のスクリーンに繰り返し繰り返し上映されていることがある・・丸亀製麺でうどんを食べる耳に二重のピアスを付けたお兄ちゃんと太った嫁の丸い背中とベビーカーのなかの・・たぶん赤ん坊・・どうでもいい憶えている意味も不明な他人の人生の一場面なのだけれど昨夜から意識しているだけでも四回ほどは再生されている本を読んでいる最中にトイレの水を流した時に朝ご飯のコロッケパンを頬張った時にそして今これを書き始めた時に・・よく似たパターンで同じ歌がアタマの中で繰り返し再生されることがある・・これは別の歌を重ねると消えてくれるらしいのだけれど興味の対象は表層の意識のとらえる範囲ではなくて無意識の領域なのだけど無意識は全ての全てをしっかりとデータベースに刻み込んでいるのだというつまりもともと全体である意識は「私」という個別の感覚器官装置を使用してより繊細に洩らすこと無くこの世の幻を楽しんでいるということになる・・ところで太陽は液体だったと正式に発表されたらしいということを・・書くべきことのY字路で右か左か迷いつつとりあえず右に行ってみたら(左側にぼんやりと見えていたイメージがどこかに飛んでしまった)・・太陽のことを書こう・・今朝庭に出てお日様を見上げたら一点の曇りも無くお日様は輝いておりまして僕は本当に不思議な思いにいざなわれた・・どうしてお日様はあのように神秘でそして同時に紛れもなく明らかな現実なのだろう・・子どもの頃にもたくさんお日様を見上げただろうあの時も今もお日様は燦然と輝き続けているのだけれど何度も思うが普通に暮らす普通の人は「そのこと」に無関心で無感動過ぎるのではないかと僕は不思議に思っている・・普通の人とはどのような人なのか詳しく述べてみなさいと言われたらそれはとても曖昧な僕の決めつけた思い込みなのだろうけれど・・少なくとも最近、犬の美容室のチラシ作りの件で連絡を取ることが多いうちの妹は「太陽はどうして輝いているのだろう」なんてことは考えていないように見えるのが僕としてはもの凄く逆に奇妙なことのように思えるのだよ自分。