誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

青葉市子でいうならば2013年のライブ映像としてオフィシャルに公開されている「機械仕掛乃宇宙」がなんといっても素晴らしく何度聴いても飽きないのでぼくのiPhoneの数少ないアーカイブにも入れているほどだ・・これと前後して細野さんや教授やコーネリアスといった知渋系ミュージシャンとのセッションも実現していて・・その一部はYouTubeにもあるのでもちろんぼくはわくわくと期待を膨らませて聴いてみるのだけれど・・とても残念なことに弾き語りである2013年の「機械仕掛乃宇宙」以上の場所には連れて行ってくれない・・メジャーの階段を昇りつつよりオーラを増してゆくタイプと逆のタイプがいてはたして青葉市子という人がどちらなのかは興味深いところだ・・ところで「機械仕掛乃宇宙」と関連して思い出すのが、あがた森魚の「バンドネオンの豹」である・・ずいぶん懐かしいこのアルバムは全編とおして素晴らしい名盤でシャンソンやタンゴの要素が日本語の楽曲にうまく散りばめられた世界観の構築方法が「機械仕掛乃宇宙」ととても似ている・・ようするにぼくの好きな方向ということだ・・これもずいぶん前に自分でも意外に思ったことなのだけれど僕は映画の中で俳優が急に歌いだしたりするミュージカルというものが「わりに好きなのだ」と自己認識したことがあるひょっとすると「とても好き」なのかも知れないのだけれどまだその世界には深く足を踏み入れていない・・もっと言えばオペラとかタカラヅカとか歌舞伎なども大好きかも知れない・・ああ、そうだ!ちょっとうらぶれた感じのサーカス小屋の感じ・・維新派の舞台とか、それとは逆にきらびやかなシルクドゥソレイユとかにも強く魅かれるものがあり大げさに言うならばタマシイの衝動を感じてしまう・・これらに共通しているのはこの世における「劇中劇」であるということかも知れないと今気付いたつまりは人生という壮大な劇中劇においてそのミニチュアである劇中劇を観ることで途方も無く懐かしく愛おしい記憶を呼び覚まそうとしている・・露とおち露と消えにしわが身かな難波のことも夢のまた夢・・この句もすごいものだよなと改めて思うのだよ自分。