誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

「このもの」にくつろぐ親しむ和らぐいつくしむなんていうのはきっと馬鹿のしていることだと「思考」は繰り返す・・知ったかぶりする哀しみの姿・・というのが思考の別名だ・・知ったかぶりカイツブリというのは滋賀県ゆるキャラだ・・そのファミリーに「野洲のおっさん」というキャラがいるが今年もびわ湖の日に合わせてびわ湖一周を着ぐるみを着ててくてく歩くキャンペーンを行う(阿呆くさすぎて僕はわりにこのキャンペーンには好感を持っている)・・話はややこしいのだけれど・・「このもの」に親しもうとしている衝動もまた思考であってそれはどこからともなく現れてきてどこへともなく去って行く・・つまり思考をコントロールできるという思い込みを含めて全ての全てがどこからともなくもたらされる思考であるということに気付いたときに初めて「くつろぎ」が起こっているということになる・・つまりそれは直に感じることによる恩寵だ・・Nothing In The Middle・・「安心、確信はありえません。不確かさのなかにずっといつづけるしかないんだと認識したとき、そこに自由と喜びがあることに気づくんです」・・この感じは丁寧な説明を組み立てて自分を納得させることを試みるよりもちょっと乱暴に完全に徹底的に丸ごと無条件に「このもののありのまま」を歓迎することでしか感じられないものだ・・本当はなんにも知らないくせに知ったかぶりする思考というのは哀れなものだ哀しい姿だ哀愁波止場のカップルだ・・微笑んであげよう許してあげよう通り過ぎさせてあげよう感謝を捧げよう・・だって必死なんだよ・・「君のために」言っているのだから君はぼくの言うことに忠実で深刻で素直でなければいけないと必死で教えてくれるのだけれどその本性はありがた迷惑なお節介焼きのその場しのぎの戯言だ偽善者だ批判のために批判を繰り返すマゾヒストだ国営放送の集金のおっさんだ・・だから微笑んであげよう歓迎すればそのうちに来なくなるなんて期待してはいけない何度でも何度でも微笑みを返してあげよう・・でも無理に微笑んでいる自分には注意しよう・・罵倒を浴びせてお引き取り願うことも(それで帰ってくれる保証はないけど)その全体を楽しんでいるならばそれでいいんだよ自分。