誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

内側もなく外側もないこの宇宙とぴったり同じ大きさの空っぽがありまして・・その想像もできない空っぽがぼくとぼくたちの本質(=いのち)なのだと賢い人たちが言っている・・賢い人たちは「これ」をアタマで理解してもぜんぜん意味はなく(そもそも理解は不可能であるから)実体験として「分かってしまった」のだと・・ここのところが大切なのですと強調する・・言葉はどこまでも不正確なので言葉通りの「実感」があるのかないのかはそれほど重要ではなく・・なんとなく分かる・・ということであるならば・・ぼくたち全員はなんとなく「これ=空っぽ」のことを知っている・・おそらくまだ幼くて思考による自己のキャラクター設定がふわふわとして隙間だらけだったころの「なんでもない記憶」が空っぽにつながっている・・空っぽはこの世界にぴったり寄り添う静寂であると言い換えることも出来る・・「音」は静寂の中に現れて消える・・見えている現象も触れる感触も匂いや味わいもそして思いも・・それと同じ波のようなものであって・・物理学的に見ても実際に「波」であるらしい・・さてこの実生活にはまるで役立ちそうもない空っぽにどうしてこんなに魅かれるのだろう(ここにも「せつなさ」が横たわっている)・・昔々の吉田拓郎の歌に「どうしてこんなに悲しいのだろう」というのがあったけれど・・ん?・・「おきざりにした悲しみは」・・いずれにしても名曲ではあるが・・連想のように思いついたのは「流れる」という楽曲だ・・懐かしいなぁ・・今は黙って風の音を聴け・・いずれはもとの闇の中に答えも無く消え去るのに・・恥ずかしさをこらえられるか・・あ、時間ないのでそろそろ行かなくちゃ自分(笑)。