誰にも会わない話

耳のするどい生きものになってうっとりと宇宙を聴いている感じ。( *_* )v

微かな息を心がけ視線を上に向けること「だけ」に注意しているならばモノゴトは好ましく整って行くのだと賢い人は述べておりその理由についても精神の奥深くに踏み込んできちんとした説明を加えているがこのような賢者のアドバイスはその根拠や裏付けを知って納得することよりも直感的に肚落ちが良くて「実際」に行動してみることを継続できるのかということが大切なのだというのが馬鹿者の取るべき謙虚な態度というものだとぼくは思いここ二三日は「このこと」に注意を払って生活しようとしているのだけれど四六時中覚えていることこそがなかなかに難易度の高いことであり逆に言うならば四六時中微かな息と上向きの視線を注意深く実行できるのならばそれはもはや覚者の心境にともなう人としての成熟した立ち居振る舞いを獲得しているということになり・・覚えているの「覚」と覚者の「覚」が同じ漢字だというのもなかなかに興味深いことではある・・微かな息とは鼻のあたまにティッシュペーパーをかざしてもパタパタさせないという程度の深くて静かな呼吸のことなのだけれどこれに注意していると不意に訪れる思考の種類にリンクして呼吸が乱れることを実感するのが面白くさらにもう一つ視線を上に向けて深刻ぶるのはなんか違和感を伴うし怒りに包まれて打ち震える者が視線を上向きにしていることもあまりないような気がする・・その意味で身体→感情→思考→行動の順にモノゴトを好ましく整えるのがこの呼吸と視線の賢者の知恵なのだなとだんだんと実感として分かって来る・・久々にお日様が輝いているので日向ぼっこでもしてみよう・・日向ぼっこと微かな息はこれ以上にないほどに相性が良くて存在の至福はそこにあるのだよ自分。